子ども自身の生このよう

母の愛を求めつづけたといいます。

矛盾しているのです。生きるということは、本質の矛盾をどううまく乗り越えるかの工夫をこらす、ということにほかならないのです。
だから、自発性を大事にする一方で、社会適応もまた大事にしなくてはなりません。
つい、こんなふうにしてしまいがちですが子どもの自主性を育てよう、自発が大切と思い、つい、それはつまり、子どもに自由になんでもやらせておくことだととらえて、赤ちゃんの頃から、きちんと禁止すべきことも禁止しないで、支障のあるところは、全部親の気くばりで始末をしてきた、という場合、集団の場所では当然のことながら、きまりというものがあるのだということが、どうにも納得できない子どもに育ってしまっています。

幼稚園や保育園で、大人が苦労をする以上に、子ども自身が、いやな思いの連続で随分苦労するのですよね。

さあ、みんなでお部屋で、おうたのけいこ。オサムくん、いらっしゃい先生が、いくら呼んでも、オサムくん、いいよ。ぼく、砂場で遊んでいるから
まったく平気でそう言ってにっこり笑ったりしているのを見ると、先生のほうがとまどってことばが出ない。
もしも、先生が、
そうじゃないのオ。みんながおうたなら、あなたもおうたなのさと、無理に抱きあげてでも連れていこうとすれば、家でそういう強制にあったことのない子なら、おそらくまるで人さらいにあったほどの悲鳴をあげて、いやだよーツと、もがき暴れるでしょうね。手がつけられない。当分、園では、強制せずにしたいようにさせておくしかないおかあさんカウンセリングで、たとえばこんなふうにここは、まず園の先生にカウンセリングのコツで見守ってもらいましょう。

子どもにとっては転校生は妙に魅力的な存在だった。


大学受験を控えた長男との関係が悪化

不思議なもので、自分ひとり違うことをしているばかりのくせに、みんなのいる園には行きたがるし、それに、日を重ねているうちに、たとえば、みんながうたを歌っている時、ひとりだけ外でブランコに乗っていたオサムくんが、みんながうたを終わって、だまって手細工をしはじめるとひょいと入ってきて、今までみんなの歌っていたうたを、ちゃんとしっかりひとりで、自分でも気づかずに小声で歌いながら、なんとなくみんなのいるところにいたがったりして。気がついたら、先生の横へ自分で椅子を持ってきて、ちょこんと座っている。
無意識のうちに、暮らしの積み重ねから、集団に適応してくるものなのですよ
意識に働きかける問いかけ口調で、ああ、いいきっかけだ!と思っても、そこで先生が、
オサムくんも、工作してみる?どう?
かえって自尊心をそがれるなどと、いくらにこやかにでも、ご機嫌を伺うようなことをすると、感じになって、キッと自意識過剰になって、しないよッ、ぼく
なんて、そこいらのなにかを、むしゃくしゃの気分のままに放り投げて走り去ったりします。

父親の仕事

まともに顔を見て、問いかけの口調で、反応を待つのではなくて、自分も参加したそうだと見てとれば、ほかの子の様子を見に立つついでに、ろくにオサムくんの手元も見ないで、なにげなく、工作の材料をオサムくんの手元にさらりと置いてやる。反応など見守らないで、集団の環境に、文句なくなじませていくのですね。
気がついたら、いつの間にか、自分も材料を手にとって、まわりの見よう見まねで、事をやりはじめたりしている。
ああ、やっと、オサムくん、参加したねえ!なんて、ことさらに、意識過剰を誘いだすようなほめことばは、その時はいらないのですね。


子どもにしてみれば

母さんの笑顔を見て安心

ただどの子にもするのと同じようにここにこう。それがいいね。うん、それでこうしてと、もとからやっていたと寸分変わらない調子で、手元を見てやったりすると、その先生のなにげなさに誘われて、椅子を前に引き直し、腰を座り直して、みんなのやってることに、オサムくんも、いつしか夢中。だんだんこうして、集団適応が身につくものです。
ねー園の先生方だけでなく、おかあさんもぜひこんな調子でね。園は園、家庭は家庭家庭において、まず大切な秩序やけじめというものを、ささいなことから、親がさっさと示して子どもがそれを見習っていく。

体験をさせていないのです。


子供の生活時間が多少狂う不利益を押して

そのときにこそこんなカウンセリング的配慮が大事ですね
いじめられる子どうもいじめられているようなのです。本人はなにも言いませんが、もいじめられて泣いていると、教えてくれるのです。
近所の子が、
ミヨコちゃん、いついじめる子を持つのも大変ですが、いじめられる子の親のほうがもっと大変ですね子どもの中で、わが子がどうなのか、そっと、子どもの群れの様子を、よくよく観察してみるとが大事ですよ。
どんなふうに、どんな子ども同士の関係が展開しているのかをしっかり現場を見ていないで、よそから聞かされただけで、せっかちに腹を立て、しく親が乗り込んでいったり、一方的にわが子を詰問して、よく答えられない子に、しても、事がややこしくなるだけですからね相手方にけわ腹を立てたりつい、こんなふうにしてしまいがちですがいじめられる子どもの親のほうにしたら、なければ、と気がはやるでしょうね文句なしに、だれかが、いじめる子をとっちめてくれこれはまさにそうなんですよ。しつけはともすれば

  • 子どもの感情を汲む力共感です
  • 教育をした覚えがない。
  • 中学校の寄宿舎へ入れられた。


しつけはともすれば 学校へ行ってほしいんでしょ 教育につきるとする