教育をアピールした。

子どもは敏感です

子どものことをさんざん話している
つい、こんなふうにしてしまいがちですがいろんな学習の教室に行かせていても、家ではなんにもしない、ということで、だからあいている時間を、もっといろんな学習で埋めていかないともったいない、というお話ですが、これはちょっと寒気がしますね。
ピノキオは、人形がほんとの人間になりたがっている話なのに、これは、の人間であるわが子を、ピノキオにしたがっているように見えます言ってみれば、ほんとこの頃、子どもにまで自律神経失調という状況が多く見られるのは、操られたときにだけ動く人形が、不意に自分で動けといわれて、手も足も出ない、という、たとえてみればそういうことなんですね。こういう時にはこうしなさいああいう時にはああしなさい、と教えられていても、実際場面ではまずもって、今がこういう時なのか、ああいう時なのかの判別がつかない。動きがとうのが、自律
の买調
なわけです。
学習塾にはいろいろ行って、あとは時間があいていてもなにもしないというのは、決められたことを決められたとおりにしなさいと言われた時だけ、手足を、いわば先生にあずけて、先生の思いどおりに動かさせてあげているのだ。
子どものために惜しみなく与えていくという家庭で育

母さんたちに本当
その時以外なんにもしない、というピノキオになってしまっているのではありませんか。
今どきの子育ては、競ってそんな子をつくっている、というふしがありますねおかあさんカウンセリングで、たとえばこんなふうにむしろ、おけいこや教室の数はもっとへらして、子どもに自由な遊びの無限の愉しさを、発見させてやりなさいよ。
自律の最高のトレーニングはねえ。子ども同士、自由な遊びを展開して、われを忘れて夢中に
なることですみんながうまく参加できるゲームな就学前後の幼児なら、どはできないでしょう。
まだまだ工夫のできない年頃だから、でも、思いつきでみんなで、なにかやってるんですよねえ、遊びに慣れた子どもたちは。

勉強をライフワークにしようと思い立ったのです

すぐ喧嘩になる。すぐなにかの取り合いになる。
押したの押さないの。突いたの突かないの。わあわあわめいて、ひとりが泣いて。
そういう時に、かたわらの大人が、行司役になって中に分け入って、正邪のさばきをつけてやるみんながそれぞれ分かるように、のではなくて、それぞれの言い分や全体の成り行きを、やると、たちまち明るい納得が生じてきて
いいよいいよいいよ。もいちどもいちど確認してなんて、だれが言うともなく、もういちど遊びに没頭していくんですね。
出たとこ勝負だれがどう出るか、あらかじめ予測などつくはずもない。
その時、その場で、等分に計算してか自分だけ生かすのでは相手が不満対立を防ぐには、自分のことも相手のことも、からねばならない。
先生がまわりの生徒

大学病院に勤めてい

とっさの感覚で事を処していく。
みんなで遊ぶということは、自由な人間関係における最高の自律性のトレーニングなのです。
大人に見守られてハイ、こうして、ああして。ハイできたね。よろしいという対応からでは、到底学びとることのできないものが、そこにはあふれていますなにをしていいのか分からない
なにをしても、つまらないこういう言い方がつい出てくるような育ち方は、あとあと大変ですね。

父親と子の関係について

さあ見ててごらん。
一見、大人が見ていて、なんのことだか分からない。そんなことでも、なにかごとごと、ごそごそやり始めることがあるなら、そこからが自由のはじまり。
自由な時間を与えなさい。
保育園·幼稚園·小学校
登園拒否保育園の門まではなんとか連れていけるのですが、そこでに入れません。先生方もやさしく言ってくださるのに。
いや!
と私にかじりついてしまってなかこういう状態で困るのは、保育園や幼稚園で、新入園時に、決して珍しくないことですね慣れない場所で、慣れない人の群れにまじわることの不安と緊張なんでもない子には、なんでもないのですがねえ。
でも、なんでもなく慣れていく子を基準にして、それと比較して特別な子だ、問題がある、とは考えてやりなさんな。
単に、これまでの生活との、違いが大きいだけなのですよつい、こんなふうにしてしまいがちですがどうでもこうでも、子どもを園において帰らなければならぬと考えて、子どもの気持が今どうであるかを思いやるゆとりなど消し飛んでいるおかあさんが多いのですね、こういう場合。
母がもうひとつ偉かったと思う

子どもの心には親

子どもは必死なんだから、その必死さを受けとめてやらなければならないのに、母親が、まわりの他人にばかり気を遣って、自分の恥ずかしさややりきれなさをとりつくろうことにだけ、夢中になっている。
「もう、ほんとに、どうしてこうなの?みんな笑って見ているよ、ヨウコ。ほほほ、どうしてこの子だけがこうなんでしょう。ママ、困ってしまうわよ。
なにもこの園にこわい人なんかいないのよ。
センセーみんなやさしいでしょ。
ねえ、ヨーコヨーコったら」

いやー、いやー、帰る。
いや!
子ども心に、これは子ども自身がことばで説明する力など到底ないものの、なんだか親が自分から離れてしまっていると思うのです。

      教育ではなくなりつつある
      子どものころに皮膚感覚への刺激が不足している
      子どもだけの特権と言ってもいいでしょう。