「いじめ」カテゴリーアーカイブ

子どもは泣くものだ。

子どもはよその家へ出かけて行って見てくる

そのためには、へだたったところから、いい加減な気持で、子の自尊心を痛めつけるような、なじり声をあげたって、それはだめですね叱り方の第二のポイントはa心の届くところにまで充分に近づいて叱る>近づくというのは、実際の距離としても、また、心理的にも、ですねたとえば、兄が妹の遊びの邪魔をしている。
妹がいやがっているのに、なかなか兄はそれをやめない。
そういう時に、むこうの部屋から、おかあさんが、いくら、「だめよ、やめなさい。
だめよ、兄は、やめといったら、すぐやめるものよ。悪いお兄ちゃんねえ」
いがかりやへりくつを言って、悪ふざけが強まる一方。

  • 学校がつまらないと言う子がふえてくる。
  • 子どもの要求に応じて
  • 練習の間にかけてやることば

体験を通してなどと言っても、いよいよ変な言そういう時、へだたったところから、なじり声をあげていると、かえって、めつけられるばかりで、いたずらをやめるにやめられないでしょう。
子どもの自尊心が痛そういう時は、しっかり近づいて、あるいは、のびのびした明るさで、子どもをこちらに呼び寄せて、むしろ向こうの妹には届かない、兄と親がごく身近になったところで、親がリョウジ。なんだかうんざりした気持を、晴らす方法が見つからずに、つい、妹のキョウコにかまいつけてしまっているのね。うんざりした気持のときは、うんざりねと、そんなぐらいの思いを込めて、やめなさいと言ってやる。しっとり、しっかり。
兄は自尊心を大切にしてくれているおかあさんの心が、自分の心にも届いたのを感じてうん
が二つ目のコツです。
とうなずく。子育ては一回こっきりやり直しがききません。

 

母さんの魂は救われません。

気持の届きあう近さ、叱り方の第三のポイントは
ピシリと叱って、待つというのは、人間、あとを待つ余裕>だれでも、3·すぐにはなにも分からないのに、やがて、あ、そうかと、湧いてくる納得の思いというものがある。
それを待つわけです。
ピシッと叱ったとしても、すぐあとガミガミ小言が続いては、逆効果。たとえば……。
思いがけず、電気の裸線などに触れて、ビリッと感電した時、電線はなにもあとを言わないので感電した者が、しっかり今後は気をつけようと、心構えしてしまうのですよね。
叱り方の一番のコツは、この第三番目ではないでしょうか。
心に届いたのを見届けて、あとはカラリと普通に戻ってしまっていてやる。
子どもの自尊心はそういう時に、いつしかしっかり培われるのですよ。
母さんは由香ちゃんに考えさせることにしました。
勉強について聞くとき
人権意識というものは、難しい観念ではなく、幼い時からのなにげないやりとりのうちに育まれるものですね上手なほめ方、三つのポイント叱るよりもほめるほうが、一般におかあさん方、得意ではなさそうですねほめる
おだてになって、子どもを天狗にさせてしまったり、いつしかごほうびとか見返りの賞品を要求されることになって、すっかりこまっしゃくれた損得勘定だけを意識させてしまったり。

えらいわねえ。ちゃんと宿題を夕食前にしてしまったなんて。ほめてあげるわよさじゃあ、あれ、買ってくれる?

じゃあ、ほめてくれたって、ぼくうれしくないよな。だって、なんにもいいことないものそんな不満を言うものじゃありません、コウジ
rだって、そうじゃないかァ。ヨシアキには、あれ、買ってやったくせに……
あれはねえ、コウジ。あれはもともと……と、つい、こんなふうになって、子どもをほめるということは、いっそ、滅多なことではほめてなんかやるまい。
親が弱みを見せることだから、そんな思いのおかあさんも、意外と多いのですね。

 

母親は大人

でも、たとえばこのやりとりなんか、なにもほめたから困ったことになったのではなくて、親がもともとほめるとは、じられているのであって、なにか報酬を与えることだ、と思い込んでしまっていて、はじめから、会話の展開がどうもまずすぎますね。
その気持に乗第一、えらいわねえ……ほめてあげるわよ
この場合、そんなに特別ほめるべきことでもないというのは、どうもおだてあげる感じです。
認める
ほめる
のではなくて、のがいいでしょう。
ここはなにも
宿題、きちんと夕食前にちゃんとやってしまったのね。

子どもの創造力は確実

コウジ本来の調子が出ている!
たとえいつもちゃんとできない子が珍しくちゃんとできた、などという時でも、それが特別だ、珍しい、と騒ぎたてるより、しっかりしっとり落ち着いた確実さで、なにげなく、素地が出ているね。その素地は、もとから素直に認めていたのだよといった認め方をすると、子どもは、まさに素直に自信がつくのですね。
特に、平生そのことについては、いつもちゃんとできなくて、本人も知らず知らず、いやになったりくさりきっていたり自信を失ってしまっていることについて、たまたま一度うまくやれた時など、大仰に珍しそうにほめそやすことはない。これ、大事なポイント。
ほめそやす代わりに、こちらも目を輝かせて、心からくつろいだ調子で、ほーら、できるじゃない。それが本来のおまえの素地だ
と言ってくれたら、子どもはどれだけ心がぬくもり、自信を呼び戻すことでしょう。
ほめ方の第一のポイントはー·それが平生のごく当たり前のおまえだと認めること>
とは言いたてないことですね普通にやることを、普通に認めあえる。そのおおらかさが、意欲を快適に湧きたたせるもとです。


子育ては一回こっきりやり直しがききません。 父親のほう 子どもは泣くものだ。

教育改革という

母さんが貸してあげようか。

そうやって、いつまでも、泣きたくもないだろうにとまず、そう思ってやる。その次に、子どものもうひとつの心の現実をしっかりととらえてやるわけです。つまり、
どうしてだか、泣けてきて泣けてきて、たまらないのだなと。
どうですかこの二つのとらえ方。子どもの心の自然な共感でしょ。
子どもの心の、矛盾しあう二つの思い続けて書くと、こうですね。
そうやっていっまでも泣きたくもないだろうに、泣けてきて泣けてきてたまらない時には……で、この時にはのあと。
ふつう一般に、「こういう時は、そのあと、どう思ってやるかです。大事なのは。
こうしたらいい」と、問題状況に対しては、打開策とか、解決法とかを、示してやろうとしますよ、ねするとこういう場合も、解決策を考えてやるべきでしょうか。
私はそうは思わないのです。

  • 子供の運動会に行き
  • 子どもとひとり歩きしてしまっています。
  • 子どもはかなりの決意をして

練習をさせていました。解決策をさずけてもらって、うん、そうする、とうなずくほどにも、子どもの気持は安定していないのです。
必要なのは、気持の確認
なのですよ。
確認を深める。
それに尽きるのです。

情緒を共有してくれる大人の存在が欲しいのですね。
つまり分かってほしい
だから、こう言ってやる。
いつまでも、のですよ。
「そうやって、ねえ。
泣きたくはないのに、泣けてきて泣けてきてたまらない時には……。
そうやって、ねえ。
いつまでも、泣きたくはないのに、泣けてきて泣けてきてたまらないのだよ……。
そうなんだよなあ、ヒサシ」教育改革という

 

子どもスペー順番はもちろん整理が先収納は後です。

そう言うだけ言って、大人はさっさと自分の仕事。
これ、お分かりでしょうか。
この思いが、うまくこのとおり言えるなら、言ってやればいい。
うまく言えなければ、おなかの中で、そう思っておいてやればいい。
悲しい時は悲しみを超えるべきだなんて教えられるよりは、もっと直截なひと言でいい。
悲しい時は、悲しいねえ
ただし、ひけらかす皮肉などでなく、しっかりしみじみと深い共感で明るい時は、いつまでもその明るさを忘れないようにとかと言われるよりは、共に明るい顔をちょくせつこのほうが、分かってくれている
という実感が深まるのです。
してくれて、明るい時は明るいね
と言ってくれるほうが、明るさが深くなる。
そういうのが、より豊かな情緒の共有なのですね。
どうにも泣きやまない子に、ほんとに、一度、深々とゆとりをもって言ってあげてごらんなさいよ軽口、冗談、皮肉の調子では、
母さんのおなかにいるとき
先生が何と多いことであろうしっかりしたことば
「そうやって、いつまでも、ねえ。
絶対に逆効果になりますよ
泣きたくもないだろうに、ねえ。
泣けてきて泣けてきてたまらない時は、ねえ。
ほんとに泣きたくもないのに、さ。
ほんとに泣けてきて泣けてきて、たまらないのだよ、ねえ」
と。あくまでもまじめに深々とゆとりをもって、そう言ってやる子どもは、エ?と息をとめるでしょう。そして、今聞いたことばを反芻するでしょう。
子どもはもともと、ビービーだれが泣きたいものか。泣きたくなんかないのだと思う自分のはんすう自尊心を、認めてくれたようだ、と思って軽い驚きが生じてくるでしょう。
しかも、それにもかかわらず、事が意に反しているのが切なくて、どうしてだか泣けてきて泣けてきてたまらないというやりきれなさも、大人が知ってくれている、と知って、思わず息をのむでしょうなんだ!分かってくれているのだ
その時、どうでしよう。子どもの心が、知らず知らずのうちに明るく開いてくるのです。
泣き続けて、切なさを大人に分からせようとするもどかしさが、止めようと思っても、いくら止めようとしても湧き続けるその切なさと共に、ひとりでに消えてしまって。

 

子どもの存在の持つ意味は大きい。

アレ?
泣く理由がない。
子どもは、ふっとふっきれた軽やかさで、今まで泣いて泣いて泣き続けていたとはとても思えない明るい調子に、カラリと変わって、
あ、ジェット機!飛んでるよ!
と、空を指さしたりして。
天性の晴れやかさに戻っていたりするのですよ。

うん、カウンセリングでいう受容
とは、ただ単に言うことを聞いてなるほどうん、そうとうなずくというのではなく、ましてや、要求をことごとく聞き入れてやるというのでももちろんなくて、心の内の葛藤しあう思いの総体をいかに的確に確認してやるか、そして、それを確認し得ているということを、いかに本人に示しうるか、ということなのです。

子どもは愛で育つのだ愛

大人の責任を通し抜く
カウンセリングというのは、子どもを導く方法としては、どうもねえやたら分かってやることばかり、というのでは、大人が子どもの言いなりになるだけだから。
分かる、分かるとうなずいて、度量の広い、物分かりのいい大人になってやって、けじめもめりはりもないというんじゃ、導いているのじゃなくて、引きずり回されているだけではないですか。
もっと、大人は子どもにびしびしやっていかなきゃあと、こういう非難が、ほんとうのカウンセリングの原理に対しては、およそ見当はずれのものであるということが、以上で、少しお分かりいただけたでしょうか。
聞くという概念を、なんでも言うことを聞いて許してやるという意味での聞き入れると一緒くたにとらえているがために、カウンセリングに対しての大きな誤解が一般に多いのです。
大人はもちろん、子どもに対する責任を、通し抜かねばなりません。
親は、親としての。
教師は、教師としての。


教育改革という 高校そしてできれば 子供とは違いますよ。