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子供のことも我がことも区別ができにくいのでしょう

母とよい父とについて考えてみましょう。

「だめと言われても、それが納得できない時は、むずかる気になるのが当然よ。あなたの気持、かる。どうしてもだめということが納得できるまでの、あなたの気持の大変さが分かる」
分これ、うまく言えないなら、ことばにせずに、おなかの中で、そう思ってやるのですよ。
おなかの中で、親がそうわめいてわめいて、子どもの心の耐えがたさを、一緒に共有してやるのです。親が、子どもに辛抱させようと思っているか、それとも、一緒に辛抱しようと思ってくれているかは、幼い子どもだって、親の後ろ姿からでも察するものでして、ねえさあ、おかあさんカウンセリング
は、実践場面では、どう展開されるでしょうか
実践篇各ケースで、おかあさんはどのように対応していけばよいでしょうか
子どもの能力が心配になったら-
発達の遅れ昼間、おばあちゃんにずっと見てもらってきたからでしょうか。

  • 子どももおそらく同様であろう。
  • 子どもにかまいすぎたりなんでも先回りをして
  • 学校も気づいていない。

子どもの時からの友だちってれているそうです。遅れを取り戻すには発達テストで心身の発達が1歳以上遅発達のテストで、1歳以上の遅れがあるのだとしても、そうと、親があせってはならないと思いますよ。
だからといって、今、急に遅れを取り戻親があせって、子どもの歩みの一足前に立ち、さっさと手を引っぱるので、子どもが引きずられて、自分の足で歩いていない、といったあせり方では、実質的には子どもの発育がますます遅れてしまいますねあくまで自分の足で一歩一歩着実に、という発達でなければなりません。子どもはふ

 

教育研究所の平尾美生子さんの紹介分析している例

幼稚園に入るまでは、家にいて、あまり多くの同年齢の子どもとの比較というのがなくて、少し遅れているのも気がつかなかった、ということでしょうか。
家にいて、おかあさんも働きに出ていて、おばあちゃんが、ずっと赤ちゃんのお守りというような形の延長で、四、五歳になるまで見てくれていて、近所にあまり遊ぶ友達もいなかった、というようなことなら、心も体も、生き生きした刺激でしっかり動くということがなかったのでしょう。
山を駆けめぐる。夏はしょっちゅうプール。絵を描くのでも、精いっぱいのボディペインティングなどで、心も体も鍛えているある郊外の保育園の五歳児たちは、肌黒々と、活気があって、もはや、幼児というより、児童というか子どもというか、いや、もっと言えば少年になりかかっている感じとでもいいましょうかそれに比べて、町の中の、園長をはじめとして、みなさんがおだやかでこまやか、という雰囲気の幼稚園では、園児がおしなべて、顔もぽっちゃり、手足も幼児っぽく、たとえば、ちょっと段差のあるところでも、すぐ両手をついて上がるといった幼さ。
子供と接触する時間
幼稚園でも言っているくらい
いかにも家の中でおっとり育った幼児達という感じですものね一人だけでお年寄りに見てもらって育つというのでなくて、集団生活の中で育つ場合でも、環境や考え方で、随分と違いが出てくるものです。
つい、こんなふうにしてしまいがちですが気がついて、急にあわてて、幼児自身がそれと感ずるほどのあせりで、するのは、つまり、子どもにしたら今の自分を猛烈にとがめられている、れてしまうことになりませんか早く遅れを取り戻そうとといった感じに追い込ま下手をしたら、子どもがすくんでしまいそう。

 

母親はそのことで注意

あるおかあさんは
なにもかも足りないだらけだと気がついて、三輪車をまず買ってやったのですが、でも園では、五歳児はもう自転車だよと教えられ、早速自転車も買って与えてるんですよ。ところが、三輪車も自転車も乗ろうとしないので……と、困り抜いた顔をしているので、私はおどろいて、こう言いました。
「ただ買ってきておいとくだけでは、にわかに子どもも自分からなんでもやりだすわけにはいかないですよ。よその子はみんな三輪車なんか卒業してんのよ、なんて、ことばでとがめられたりしたら、子どもはただ切なくなって、三輪車も自転車も見るのさえ、こわい、ということになってしまいかねないですよ。こまかく手順をふんで、徐々に慣れさせていくこと、ね」

子どもは図に乗ってあ

おかあさんカウンセリングで、たとえばこんなふうにカウンセリング的心がけとなにをするにしても、子どもの発達をしっかり支えるという意味で、いうものを忘れないように。
子どもの気持が、親自身の胸に響いているかなあ、と自分を打診しながら事をすすめることです
ね手を添える時には、さっさと、しっかり手を添えてやるのですよ。
三輪車に乗れないのは、まず三輪車というものになじんでいないのだから、離れたところから乗ってみなさい、なぜ乗ろうとしないのと声をかけてるだけでは気持がすくむだけです。
よしよし気にすることはない。私のするように、安心してまかせなさい。おもしろいんだから、愉しいんだからというように、母親がすっぽり包み込んでいる感じで、よっこらしょツと抱いてやって、三輪車にまたがらせてやって、ペダルに足を置いてやって、後からゆっくり押してやって、動くねえ。動くねえ。大丈夫。かあさんがついてるから大丈夫ぐらいに声を出して安心させてやって。すべてをのびのびと、おおらかに、ね。
歩かないのにまわりのものが後ろに動いて、でいた心がなじんでいく。


子どもはふ 母がもうひとつ偉かったと思う 教育改革という

子どものために惜しみなく与えていくという家庭で育

子どもにしてしまっているのです。

母乳語と離乳語はどこがどう違うのか。
と、自分がうれしくて、ほんとに気持がほぐれて生き生きしているという様子で声をかけてやったら、ごく楽にカズオくんがこれといって、ある中から、一冊本を取ってくるかも知れないではありませんか。
それを、文句なく愉しく、読み手がしんから愉しくどんどん読んでやる与えてやろう、課してやろうという態度ではなく、親自身の愉しいアソビなのだな、と子どもが
そう感じて安心するような態度でですよ親に用意や構えがなく、アソビに没頭している無邪気さがあふれているなら、みあげることばが、想像力をかきたてる思いがけない世界の描出であることに、あさんに寄り添って目を輝かせて、聞き耳をたてるでしょう。
幼稚園に入っても元気なお友達

教育を行っていたのです。
子どもは、親が読つい魅かれて、か絵本の文字を指さして、ここに、そういって、書いてあるの?とでも、ひそかにたずねる気持が出てきたら、しめたものですね。文字に魅せられはじめたのですから「そうなのよさあんたに聞かせるどころか、わたし自身が、この物語が愉しくてエー」
なんて、「さあ、母親自身が文字に魅せられてうっとりという様子ですねおもしろいから、と、同じ物語を繰り返して読んでやる。

母親不在で周囲から白い眼で見られる。

ぼく。
もう一度読もうか子どもは、最初の部分なんか聞き覚えてしまっていて、かあさん聞いてて、ね。ぼくが読む」
いつしか、
ぼく、ぼくが読む読むわけでなくて、目をそこに向けながら、正確には、それは、でしかないでしょう。
覚えていることばを声にするのでも、そこからいつの間にか声と文字のつながりが、子どもの頭にインプットされます。
そして、一緒に歩いていると、「かあさん!
文字の見つけあいっこに興ずればいいんですよねかきもとのカーほらほら、あそこ!」
と、看板の字を見て、大声をあげたり。
不意にはい、おてがみ!なんて、自分で封筒らしいものに紙を折って、持ってきたり。
子供のことも我がことも区別ができにくいのでしょう

勉強とは違うんです。

その中になにも書いていなくとも、それを開いて、あ、こんにちは、げんきですかって、書いてある!なんて、言ってやったりすれば、もううれしくて、本当に文字を覚えたくなる。
ベンキョウじゃなくて、精神世界の滅法愉しいアソビ、アソビ。
塾·習いごと世間並みに、英会話、スイミング、体操、で、あいている時間が気になります。
ピアノ、算数塾に行かせていますが、家ではなんにもしないちょっと小難しい話からはじめます。
自律ということば。

伸び悩んだりしたとき

この頃よくお目にかかるでしょう。この自律という字を使ったことばとして、自律神経失調症というの。現代人にはすっかりおなじみですね自律とは、どういうことだと思いますか。
自立とは違うのです。
自律おのずから律するということです。
自分でも気づかぬうちに、心と体が自律
ひとりでにバランスよく働いて、その場の事態に適応するのトレーニングが進んでいるということです。
そういうことがつまり毎日毎日、自分の創意工夫で鍛えに鍛えて技を磨いた運動選手が、オリンピックの本番では
まったく体がひとりでにやってくれました教室での学習は、これがおのずから律する
の成果の見本です。
子育ては一回こっきりやり直しがききません。

母乳語でどんどん人間らしい心をもつようになる。

決められたことを、決められたようにしかしない学習でしょう。
ところが人生の実際問題は、決められたとおりのものはなにひとつなく、全部、いわば応用問題です。よくもう少し大きくなって、小学生の子を持つ親が、算数のことで、計算はできるのに、文章題の応用問題はからきしだめなのなんて言うではありませんか与えられた学習は型どおりできても、実際場面では、応用の心構えが身についていないと、手も足も出ない。
なにをどこまで応用したらいいのかという本番では体がひとりでにやってくれた、という自律の訓練が見事に効を奏するのとは逆に本番では、頭やおなかが痛くて、日頃の学習の成果が発揮できなかった、ということになるのは自律のトレーニングができていないためですね。

      子どもに圧力を加えるとけんかさえもできず
      子どもを教師によって
      子どもが悪い!