「経験」カテゴリーアーカイブ

子どもはふ

両親が援助資金を出してあげる約束をする

たとえば、クラスで一番だということを大仰にほめて、すっかり子どもが意識過剰になり、一番か11番かばかりを気にするようになるよりも、テストの自分の出来不出来をきちんと見直して、できるはずのところができていなかった箇所を、淡々とやり直して自信を深めるといった、さりげな真に力を伸ばす道ですからね小学校でクラス1の子が、進学向けの高校でドンジリということもあるわけで、人との比較よりも自分の最善を尽くすかどうかが問題です。天狗の鼻が折れてショックで立ち直れず、人生棒に振あくまでも特別だ普通じゃない、い努力に気持を向けさせるほうが、るという成り行きの子どもが今どきは多くて、それらはみな、ほめ方の失敗ですねほめ方の第二のポイントは2·実力を出しきった時に、きちんと認める>そういうほめ方です。つまり、トップに立ったからほめる、目立つからほめる、普通じゃないほど立派だからほめる、まわりと比較してほめる、というのではなくて、素直に力を出しきった時にその成果をほめるより、その素直な励みぶりをほめるのです。

  • 中学受験をさせるというのはどうかと思います。
  • 教育のあり方なのではないでしょうか。
  • 母さんはいいと言ったけど

子どもには結果を予測する力はありません。少々人と比べて順位が低くともうん、その調子その調子。しっかりやれてるね
と認めてやることが、何よりもの励みで、ほめ方の第三のポイントはこういうのを気持のよいほめ方だととらえるべきです。
素直さをしっかり認める>ということです。素直であるということは、3·心の中から温かいものが湧き出てくる一番好ましい状態ですから、それをちゃんと認めてやるのですたとえ、思いがけぬ失敗をした子どもにも
どうしてそんな不注意なことをしたのだ!
と責めるばかりでは、素直な意欲は湧き出てはきません。
しくじったり、意欲が萎えていたり、心にこじれがある子どもにこそ、ちょっとしたその子の行いなどのプラス点を、目ざとく見つけて、それをほめてやる。
そのほめ方は、皮肉やわざとらしさにならず、それこそ心から素直な実感をこめて、ねうーん。ついおかあさんに気遣って、間違ったことを言ってしまった。やさしい子だなどと、ね。
よし。間違いだと気づいたんだから、それでよし。もう間違わないさと。
しっかり、認められている!!という確信が持ててこそ、子どもは成長の階段を確実に一歩一歩と踏みしめはじめます。大学進学の意欲はまったく

 

子育てではマイナスに働きます。

カウンセリングの条件カウンセリングの必要な
とか場合
があるもので、その時、おかあさんは
の役割を横に置いておいて、しっかりカウンセラーになってやることが大事なのです。
正確に言えば、親の責任と、カウンセラーの受容は、きちんと使い分けねばならないのです。
二十四時間カウンセラーで、二十四時間親である、といった努力は、まったく必要ありませんこのカウンセラー役親の役割の使い分けが充分にできるようになったら、親は子どもにどれほど信頼され、尊敬されることかまさしく人生の先輩である親の言うことに対して、聞く耳を持つ子に育っていくのは、親が、カウンセラー役に徹するべき時に、しっかりカウンセラー役になり通してやることからはじまるのだと私は考えています。
教育をしてほしいということです。
子どもっていいよね。
前にもすでに述べたように、親は、たとえば子どもの要求に対して、イエスノーかを、しっかり言明してやらねばなりませんねイエスノーを言明し抜く、つまり、子どもに、物事の限界や、条件や、禁止や、提示を、すべき時にしっかりするのが、つまり親の役割です。
ここでひとつ注意すべきは、イエス
ノー
をはっきり言明するための手だてとして、
エス
でもノーでもない時に、曖昧な表現をすべきではないということがあります。イエスでもノーでもない時は、親はイエスノーの代わりにはっきりと、こう言明すべきなのです。
そのことについては、分からないとか、それは、あなたが判断しなさいとか、
それは、決めかねているから保留だとか。

 

子どもの友だちが遊びにきたとき

とにかく、いい加減なイエスノーは言わない。それが親の役割なのです。
あとの子どもの反応に対して、どうであっても、よく分かってやる。
そして、そのつまり、ころりと代わって、カウンセラー役で、やり通すのですね。前述のとおりです。
たとえば、親がノーと宣言しても、子どもが納得しないとする。その時は、納得していない子どもの気持を、しっかり確認してやるのがカウンセラー役です。
ノー
と同時に、はすでに親の役割
として言明しているのですから、カウンセラー役もあくまでそのノー
という指標に沿ってふるまわねばならないのですよ。

子どもの届く高さに配置などですよく使う物

ここでまたしても前述の上手な叱り方、三つのポイント
をもう一度、繰り返すことになりますあとの実践篇で、そういう部分が出てくるごとに、これは具体的に説明を重ねることができるでしょうが、ここでも再び、ちょっとことばを変えて繰り返して念を押しておきます。
だめだといっても、ぼく絶対に欲しいもん!と、子どもは不服で鼻を鳴らす。
すると、そこで、母親は、いくら言ってもだめなものはだめ!とは、繰り返して強調しない。
しっかりカウンセラー役になってやるなら、こう反応してやるのです。


大学進学の意欲はまったく 大学進学の意欲はまったく 子どものために惜しみなく与えていくという家庭で育

大学進学の意欲はまったく

子どもから反抗されたとき

これは買わないほうがいいと思うものを、子にねだられてつい買ってしまって、これはよくないなと親が教育上、あるいは経済上考えたのなら、ねだられて買ってしまった親自身が×なのだし、押し切って無理を通した子も×だ、ととらえるわけです。
私たち一緒にだったね!
と、親子が認めあわざるを得ない共感が、明日へのよい道を一緒に探っていく意欲のもとにもなるわけです。これが、つまり自由と平等の民主社会の原点ですよ聞く
=受容カウンセリングとは、聞き入れる=許容の違いが、厳しいけじめの上に立って、お分かりでしょうか。
やさしい配慮が届くやり方なのです。

責任は親にある干渉の芽生え子育てにおいては、親の、構い過ぎがよくない、とはよく言われることです。
構い過ぎ、つまり過保護ですね。干渉ですね。これは確かによくない。

  • 子供を信ずることこそ大切です。
  • 子どものころ
  • 子どもを生んだという新しい

子どもに期待したりすることが多くその結果構い過ぎ,過保護,干渉はよくないのに、それはまた、あまりにも言われていることなのに、気づいたら、そうするつもりでなくいつしかそうなっている、ということのなんと多いこと。
過保護,干渉の芽生えは、厳密に言えば、つまり次のような場面ですでにはじまっています。
子どもが、いつまでも機嫌を直さずに、ビービー泣いている、なんていう時に、ですよ。
じれったいな、と思った母親が、よく、
泣きやみなさい!
と、わが子を叱りますよ、ね一度叱って、泣く子の泣く気勢がおさまっていくのなら、それはそれでいいですよピシリと親のひと言は大事ですからね。
ところが泣きやみなさい!
効果があらわれないどころか、と叱っても、効果が一向にあらわれない時があります。
むしろ、逆効果になる時が多いのですね。
「泣きやみなさいというのに、どうしていつまでも泣くのよォ。
泣きやみなさいツ」先生がまわりの生徒

 

父親になるだろう

いらだった親の叱責が、むしろ効果音というか、伴奏音楽になって、くりあげ、声を張りあげて、いよいようえーん
子は逆に勢いを増し、しゃ実は、人間の感情というものは、命じられるままにどうにでもなるというものではありません。
子ども自身にだってどうにもならない時は、親のさしでがましい命令に応じられるものではないわけです。
応じられないでいるのに、親がひとつの方向で、構わず、もっと構いたてる。
これが、すでに、過保護とか干渉の芽生えなのだ、押してだめなら、引いてみなと言うでしょう。
母さん自身あまり人づきあいが得意ではないのです。
子供とできない
と気づくべきなのですよ多くの親のしていることを見ていると、押してだめなら、もっと押せとばかりに効果のないことに頑張って、自分もいらだち、子もいらだち、ますますやり切れない状態をつくりだしてしまうことが多いですね。それらが、つまり、過保護に通じていく親のやり方なのですね放任の芽生えどう言っても泣きやまない子どもに、何度も何度も
泣きやみなさい泣きやまなかったら、もうどこへも連れていかないわよ

どうして泣きやまないのよさと言い尽くした挙句、もう、これはどうしようもないと、いわば匙を投げた親は、いかにもそっけなく、「それじゃもう、そうやって泣きたいだけ泣いときなさいよ。知らないからもう」
一転してなんて、言い捨てる。これがまた普通によく見られる光景ですよね。
「もう一切、構ってやらないからね。知らない知らない。もう知らない。
泣きたいだけ泣いたらいいじゃない。泣きなさいよ、いつまでもそうやって」
と、親がふてくされて。

 

父親の対応は芸術的でさえある

泣きたいだけ泣いたらいい、と言われたって、ほんとのところは、なにも泣きたいという願いそのものがあるわけじゃない。
放置
こんなふうに、子どもを、いわゆるリととらえるべきなのですよ。
知らないからねッ

どうにでもなれ
つき放すのは、すでにこれが放任
のはじま

おまえの勝手でしょ!
……放任の宣言ですよ、これらはみんな。
過保護,干渉と、放任·放置はいけないのだとは、よくよく言われていることなのに、過保護をやめようとなったら、たちまち放任になり、放任にもならぬ、放任をやめるとなったら、過保護になる。
過保護にもならず、適正な親のもっていき方というものが大切です。

子どもの興味や夢がふくらんでいくでしょう。

受容することの大切さ子ども自身、自分の気持がままならない時に、親にやたらこうしなさいああしなさいと言われたって、それに応ずるわけにはいかない。
まず、平らかな心のゆとりを生ずるように、もっていってやらねばならないわけです。
子どもは、いくら泣きやまないからといっても、なにも泣きたいという願いそのものがあるから泣いているのではないのです。
泣くよりは、元気に明るくしているほうが、そりゃいいに決まっているのです。
だから、こういう子には、まず、親が落ち着いて、しっかり、泣きたくもないだろうにと思ってやるのが一番自然な気持のとらえ方だと思います。


先生がまわりの生徒 子育ては一回こっきりやり直しがききません。 幼稚園に入っても元気なお友達