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子どもが要求するからやるという感じ

子どもが自然にそういう姿勢をとるよう

育てている方数名にお話を伺いました。
火の量によって、風圧で消すことになるか、風が酸素を送り込むことになるか。こちらの同じ動作が、まったく違った働きをもたらすわけです。
子どもとの関係のあり方によって、大人の同じような言い方でも、それで気持がおさまることになるか、かえって気持をあおることになるかの違いが出てくるのですよ。
平生から、自分の気持がよく分かってくれている、と子ども自身が納得できる人から何かを言われたら、文句なく言われたことの意味を分かってみようと、知らず知らずのうちに子どもの心が動きますね逆に、平生から、自分の気持なんかちっとも察してくれない人から、
だからこそ、それでいっも気持がむしゃくしゃして、そのうっぷんを、弱い者いじめでもして晴らす気になってしまっているわけで、そんな大人から何かを言われたら、反射的に言われたことへの反発が生じてしまい、文句なしに、言われたことなどまるで分かってやるものかという、知らず知らずのうちのつっぱり心が芽生えてしまいます。
子供のほうがそのままエスカレートしてしまう

子供たちを待っているたまたま私の親戚
いじめてはいけないと言われて、ああそうだと気づくか、それとも、だれがつげ口をしたのかよーし、それをつきとめてとっちめてやろうと心がはやるか。その違いですね。
おかあさんカウンセリングで、たとえばこんなふうにまずなによりも、分かってくれているな、と子どもが納得している人から言われることばは、子どもの心に届くということです。逆に分かってくれていないと思い込んでしまっている相手からであれば、なにを言われても、大人の言うことばが、子どものカラをかぶった心を、カラごとっっ突くだけで、かえって突き押して心をよそに遠ざけてしまうばかりになりますだから、分かってくれている、と子どもが思っていなければならない。

子どもがいるのです。

メンツなにが分かってやれていないとだめなのか、と言いますとね。
自尊心がある、面子をつぶされたくない、ということを分かってもらいたいのですよ。
一寸の虫にも五分の魂。
子どもだって、大人だって、人格尊重の原理は同じです。
だから、つまり、大人の子どもをたしなめることばが、それを聞かされている子どもにとって
なんだ。ちっともぼくの気持なんか分かってくれていないじゃないか!自分ばかりひどく言われて!でも、ぼく、どうしてだか、やめられないんだ。見えないところでしてやれば、分からないから、叱られないですむさー分からないうちにしてしまえば、こっちの勝ちさ!エヘヘへC、と思うようなことばであれば、ダメだということです。
こんなふうに言ってやったら、まさにそう思うでしょう。

いつまでも、弱い者いじめばかりしてたら、暗いお部屋へ1人だけ放り込んでしまうよ。
開けられないんだから!もうしない、とさっき約束したでしょ。悪いんだからねえ!
母親にはとくに忠告しておきたいことです

子供と接する時間

絶対に逆に、こう言ってやれば?

なんでか、こうなってしまうみたい。しちゃいけない、ということは、ヨウスケもよく分かっているのに、ねえ。マサシくんばっかり気になるみたいマサシくんに、もっと気ばって相手になってもらいたいのだろう、と思う。でも、マサシくんは、ヨウスケに比べると、少しおとなしいからね。そして、今まで、マサシくんばかり、かばいすぎたからね、まわりの大人が、ねよーし。これ一緒に片づけようか。力のあるヨウスケが、私をしっかり手伝うのだよ。
い?いいかい?そらそら、この反対のほうを持って。そうそういいか思いがけずしてしまったことの残念さを、よく分かる、と充分に表現して、大人の仲間にしてしまう。ヘラヘラ笑って、隠れたところで、いじわるをする、というつまらない陰険さは、そういうやり方で自尊心をたててくれるなら、いつしかなくなってしまうでしょう。

先生が京子ちゃんのクラスにやってきました。

これだけたくさんのことばを実際に言わずとも、こういう気持をしっかりおなかの中で燃やしたてながら、実際のことばはたったのひと言やめなさいでもいいのです。
いじめている現場を見つけた時は、とっさにだめェーの制止でいいですよね。ことばでは言わずとも、おなかの中の思いがどっち向きかは、子どもにもよく伝わるものでして、ねえ。
集団はずれ決められたことをみんなで一緒にするのが、いやなのです。
なにしろ親も自発性を大事にしてきたものですから。
自分ひとりで勝手に遊んでいるそうです。
親が子どもの自発性を大事にしてきた、ということは、うようにさせてきた、ということでしょうか。
つまり、家では子どもの思うことを思たとえ、家族という少人数でも、人間が複数でいる限り、一つの社会ですからねえ。
するといっても、そこには限度というものが、やはりいろいろとあったはずですよ。
しつけはともすれば

子どもにしてやれる

思うように第一、人間関係だけに限らず、私達はまぎれもなくこの地上に住んでいるのですから、学的にいろんな制約とか約束とかの限度の中で暮らしているのでしてね物理的化だから、ひとりの人間の自由·自発というものも、思いついたまま思いついた形でやり通すわけにはいかず、おのずから、制限もやむなし、といったところが現実の生活というものです。
早い話、子どもがワラに火のついたものを、おもしろいから振り回したい。そうしたいからそうするまでだといっても、あちこちに火が燃え移って、おしまいに家が火事で燃え上がっても、子どもの自発性は大事だから、しかたのなかったことだとは言っておれないわけですだから、この世に生きている限り、自発は大事だし、制限制約もまた大事だということですね矛盾していますよね。

      子どももことばで表現してやる。
      いじめようと思ってやってることではない
      子ども時代だけでなく

高校そしてできれば

子どもを育み大人になることへの憧

勉強以外のところへ関心を向ける。
他人にばかり気を遣って、自分の必死の心の動きを、おかあさんはこれっぽっちも受けとめてくれない。他人に愛想笑いばかりして、自分をもてあそんでいると、思っちゃうのです。
家にいる時のおかあさんと、おかあさんが違っている。別人だ!と、そうまで思ってしまっているのかも知れないのですよ。
おかあさんカウンセリングで、たとえばこんなふうに通すべきスジはちゃんと通す。
ただし、それについて子どもの思いがどうであるかを、しっかりはっきり分かってやる。子どものうろたえや辛さをひしととらえながら、スジを通す。
カウンセリング的な受容で子どもを支えるやり方になるのです。
それが、それとは反対に、子どもの思いをつい無視してしまって、大人の側のスジを気軽に通せると思っている。子どもの反発でめげて、スジが通せない。スジを通させず、辛いことから逃げて、そのいっときは子どももよかったとは思うものの、一段上の発達へと上がっていけないから、スジを通さない親を、なんとなく信頼しづらい気持が、幼い子どもの心にもやがて生じてくる。
子供とは違いますよ。

先生の勢いのある声を聞く
親も、スジを通そうとすると反発する子どもに負けて、子どもの逃げを許しはするものの、決してそれでよしと、子どもを認めたわけではない。結局、段階を上がっていくことができないのが気になって、親は子どもにうっとうしい気持をぶちあてるばかりになる。
親も子も、けじめのつかぬ不機嫌さと、逃げの習性をもてあましている……。
そんなふうになってしまうと、気持の突破口を見つけるのが大変ですねだから、園に向かう日の朝の最初から、親にしっかりハラ構えが大事ですね。
親がしっかりしっとり、ことば数は少なくてよい。そして明るく、です。

母親を思い出す。

それと反対なのが、口数多く、気軽さを強調しながら、親のハラハラ気にしているのが子どもにも見え見えという態度か、あるいは、なんでもどうでも気にすることなんか、考えもつかないとい
う、子どもの気持完全無視型です。
朝から、子どもがだらだらでれでれしているのは、それはどちらもダメなのですよ親がそれを口先ではとがめながら、体全体の気迫としてだらだらでれでれを、きっぱり拒絶しているのではないからですね。
不安や緊張が先に立って、はかばかしく体を動かす気になっていない子には、さっさと、手を取って、体によく触れてやりながら、さっと腕をのばさせ、シャツを通させる。有無を言わさぬてきばきの態度がちゃんと一貫していなければ、親は子どものペースにのまれますね。
親の手足が、しゃんしゃんと意の達した動きで、事を片づけていく。その容赦のない働きに、どもが文句なく影響されていく。そういう朝からの動きが、しゃんとしていなければ。
「さあ、シャツよ。着るのよ。いらっしゃい。足があるんでしょ、ヨーコ。さあ早く早く」
子などと、口先ばかりで子どもをとがめながら、リも、親の腰の重さに同調するばかりです。
子どもは泣くものだ。

先生のお話

自分の腰が重いのでは、子どもはとがめをきくよなんでも自分でさせなければ、といったって、しない子にしなさいしなさいを繰り返していたのでは、聞き流す習性ができるだけですから、そうも言ってられないとなれば、さっさと、親が手を出し、力を添えて、園に行くための手順を、てきぱきそろえていく。そういう朝の最初からのみずみずしい流れというものが、子どものハラ構えを誘いだすのですよ。
園に連れていく時、おかあさんは、今日も泣いていやがったらどうしよう、困ったわと、心の中で思わずに、今日も泣くだろう。わめくだろう。だって慣れるまで、そうは簡単に気持がととのわないもの。その切なさを、黙ってしっかり、共有してやろう。

子どもに協力してもらいやすくなります。

黙ってしっかり、まつわる手を握りかえしてやりながら、辛さの共有の中で、しっかり別れようとハラに力をこめ、真剣に小さな手を握って、出かけていきなさい。
子どももしっかり、なすべきことを前に見て、気持をひきしめ、園に入れるものですよ。
いじめる子うちの子が、マサシくんばかりをいじめるそうです。ものをとったり、突いたり倒したり。叱ってもヘラヘラ笑ってるそうです。
つくっているものを壊したり。

どうしていじめるのよ。
弱い者いじめをしてはだめじゃないのさまあどんな親でも口にするようなこんなたしなめ方をして、きくようなら、それでよし。
いくらそうたしなめても効果がない時が、困るのですねいじめの問題が、もっと大きな子、小学生、中学生の深刻な問題として、これまで世間で随分取り沙汰されてきましたね。
父親のほう

両親が憎み合い

基本的には、小·中学生でも、じ叱り方を繰り返したら、むしろ逆効果なのですよ幼児でも同じで、ききもしないのに、同つい、こんなふうにしてしまいがちですがたとえば、マッチの火やローソクの灯なら、吹けば消えますねそれで、火は吹けば消せると思ってしまって、たき火の燃え残りを吹いたり、新聞紙についた火を吹けば、消すつもりでも、逆に、燃えさかりますよ。
ね。
効果がない。むしろ逆効果なのに、同じやり方を強めるばかりでは、問題を大きくするばかりになってしまいます問題を解決するどころか下手なふきんのかけ方で、一箇所の汚れを、頑張ってテーブル全体の汚れにしてしまう。
ふうでは、熱心に頑張ったことが、逆に悪い結果を招いてしまうわけです。
そんな火を吹き消すか、吹いたら火がおこるかの違いは、もとの火種の程度と、送る空気の量との関係ですね。

      子どもだけだと忘れてしまうことがある
      育てられる環境作りを心掛けてください。
      子供のお尻をたたいて進学させるいい